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クワイ河に虹をかけた男

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アジア太平洋戦争下、岡山出身の永瀬隆は、当時、タイとビルマを結ぶ泰面鉄道タイ側の拠点カンチャナブリに陸軍通訳として派遣される。多くの連合国軍捕虜やアジア人が動員された建設工事で、彼は強制労働、拷問、伝染病死など悲劇の惨状を目の当たりにする。戦後、鉄道建設犠牲者の慰霊と、復員時に日本軍12万人全員にタイ政府が「米と砂糖」を支給してくれた恩義に報いようと、一般人の海外渡航が自由化された1964年から妻の佳子と二人三脚で巡礼の旅を始める。1976年にはクワイ河鉄橋で元捕虜と旧日本軍関係者の和解の再開事業を成功させ、1986年にはクワイ河平和基金を創設するなど、「ナガセ」の名は欧米でも知られる存在となる。タイ訪問を135回も続けた”和解”とは...。戦争は二度としてはならないと思わせるドキュメンタリー映画。

クワイ河鉄橋は「戦場にかける橋」(1957)で一躍有名となり、私もこの橋のあるカンチャナブリには実際に旅した事があるので、興味を持って第七藝術劇場まで観に行きました。




タイ カンチャナブリ 『戦場にかける橋』 クワイ河マーチ
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