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2001/1/7(sun)「南部戦跡」琉球王国紀行

syuriのコピー.JPG

2001/1/7(sun)

沖縄はあいにくの雨模様。
車が手に入ったので糸満から知念半島にかけて、
沖縄南部の旅に出た。
喜屋武岬は東シナ海と太平洋を分けるポイントだが、
中部から上陸した米軍に沖縄の人が南へ南へ追いつめられて、
この岬から続々と身を投げ、海の色が一面に
赤く染まったという、
すざましい悲劇を秘めた場所である。
昨日酒場で知り合いになった馬場さんという人に、
ひめゆりの塔は見ておいた方がいいですよといわれたので、
ひめゆり平和祈念資料館へ足を運ぶ。
一体、日本とは何かということを否応なしに
考え込まされてしまう。
太平洋戦争における沖縄戦は悲痛を極めている。
同国人が居住する地域で凄惨な地上戦をやり、
その戦場で15万人の県民と9万人の兵隊が死んだ。
千単位、万単位の玉砕が相次ぎ、
沖縄は県民ぐるみで全滅したのである。
写真は壊滅した首里の都
ひめゆり学徒隊の少女達の手記を読んでいて
震えが止まらなくなった。
サイゴンで戦争犯罪博物館で経験したこととは、
明らかに次元が違うのである。
これは我々の問題、我々の生き方の問題なのである。
「可哀想ね。この娘達。」と何の問題意識もなく、
笑みを浮かべて子供に話している、
本土から来た阿呆な母娘の会話を聞いて、
本当に殴ってやろうかと思った。
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